2011年9月9日金曜日

Amazonタブレットは、なぜ iPad の唯一のライバルなのか?

http://japan.internet.com/allnet/20110908/11.html

新しいタブレットが発表されるたびに、メディアはそれを Apple iPad と比較する。Amazon タブレットもそうだった。
Amazon のタブレットが、実際には Amazon.com での買い物用に最適化された Android ベースの Kindle であることがわかると、記事の見出しは変化した。Amazon タブレットは iPad のライバルではなく期待外れの単なる電子書籍リーダーだと。
たとえば、Forbes.com は9月6日、Amazon タブレットの記事に次の見出しをたてた。
「No Worries, iPad, Amazon's Android Tablet Is Just a Nook-Killer. (iPad、心配無用だ。Amazon の Android タブレットは、Nook キラーに過ぎない)」
(注:Nook は、米国の大手書店 Barns & Noble が販売する電子書籍リーダー)
しかし、こうした見出しはすべて間違っている。Amazon タブレットは、唯一 iPad のライバルとなりうるデバイスなのだ。

Amazon タブレットは、Amazon の戦略の一部
Amazon にはガジェットを作る意図はまったくない。また、ガジェット販売が儲かる商売になるとも思ってもいない。Amazon タブレットは、Kindle 同様、手段に過ぎないのだ。
Amazon の Kindle は、電子書籍販売をコントロールする巨大な戦略の一部だった。Kindle の目的は、電子書籍購入を妨げる障害を顧客の前から徹底排除することだった。
Amazon は、Amazon.com で買い物をしない人を見つけだし、なぜ買わないのかを調べ、その障害を排除することに全力をあげる。
Amazon プライム、配送料無料、迅速な配送、おすすめ商品の精度向上、クレジットカード番号や住所などの個人情報の保全。Amazon は障害排除のために、これらをすべて実行した。Kindle は、電子書籍販売で障害となりうるものをあらかじめすべて洗い出し、排除した上で設計、販売されたものだった。
Amazon タブレットは、これら同様、Amazon からの商品購入の障害を取り払うために提供される。インターフェイスが他の Android タブレットと全く違うのはそのためだ。
Amazon のタブレットに対しては、2通りの見方ができる。その両方ともが正しい。
ひとつは、マルチメディアコンテンツ用の Kindle という見方だ。Kindle で読みたい本を見つけ、購入し、読む経験をした人ならわかるだろう。Kindle はこれらの用途に最適化されていた。新しいタブレットは、書籍に加えて、映画、テレビ、音楽、フルカラーの雑誌、アプリ、オーディオブック、子供向けのインタラクティブな絵本それにゲームを Amazon.com サイトで見つけ、購入し、楽しむために最適化されたデバイスだ。音楽や映画といったコンテンツは、クラウドに保存されているため、いつでも、どこからでも購入できる。
もうひとつは、タブレットが Amazon.com の ショッピングサイトそのものだという見方だ。タブレットでゲームをしていたり、仕事をしたりしているときでも、画面をタップするだけで Amazon.com のショッピングサイトに入っていける。
Amazon はタブレットで、さらなる障害の排除を試みようとしている。従来型の店舗、という巨大な障害だ。今回のバージョンか次回発売されるバージョンでは、バーコードを読み取る機能がつくはずだ。欲しい製品のバーコードをスキャンして、すぐに Amazon で購入できる。
これは、従来型の店舗にとっては悪夢になるだろう。ショッピングモールや雑貨店にタブレットを持って行き、欲しい商品を見つけたら、Amazon タブレットを取り出してその場でその商品を購入できる。その店からではない。Amazon.com からだ。
そんなことはありえない?しかし、現実に HMV や Tower レコードの店舗はショッピングモールから姿を消したではないか。全米2位の書店 Borders が破産したのは今年の2月のこと。これらはどこも、オンラインショップに負けたのだ。

Amazon タブレットと他のタブレットの違いは何か
Amazon タブレットは、電子書籍リーダーの Nook と比較されることが多い。が、両者は全く異なる。Amazon タブレットは単なるカラーの電子書籍リーダーではない。すべてを Amazon から買わせるためのデバイスなのだ。
Amazon タブレットは、他の Android タブレットとも全く違う。他社のタブレット端末の利益は、トースターや電球同様、主にデバイスの売り上げから来る。Amazon のタブレットは、カタログであり、会計窓口のレジであり、また購入した商品を楽しむものでもある。
Amazon の新しいタブレットとそれに付随する戦略は、他の電子書籍リーダーや、タブレット端末とは全く違う。ただし、iPad を除いて。

Amazon タブレットと iPad の共通点は何か
ほとんどのタブレットは、携帯電話とノート PC の間の隙間を埋めるために設計され、ハードウェア自体で利益を上げるというビジネスモデルで販売されている。
iPad は、さまざまな方法で顧客にお金を使ってもらう包括的な戦略の一部として設計され、販売されている。ハードウェアからの利益に加え、アクセサリー、アプリ、広告など、様々な面で利益をあげている。
しかし、なんといっても大きいのは、iTunes からの売り上げだ。
Apple の事業展望においては、iPad は、Apple からコンテンツを購入してもらうためのデバイスなのだ。iPad ユーザーは、音楽、映画、テレビ番組、電子書籍、オーディオブックなどを購入したり、レンタルしたり、定期購読したりしている。これらは、クラウドに格納されているので、いつだって、どこでだって買える。
どこかで聞いたことがあるだろう。そう、Amazon のダウンロード可能コンテンツの戦略とそっくりだ。
音楽、映画、テレビ番組、書籍などの未来をコントロールする大きな戦略の一部としてタブレットを扱っているのは、Apple と Amazon しかない。

Amazon の戦略は、Apple よりも野心的
Amazon と Apple はともにダウンロード可能コンテンツの分野で競り合っているが、Amazon の目には、もっと大きな市場が映っている。衣類、贈り物、園芸用品、日用雑貨......。つまり、すべての商品だ。
Amazon タブレットからは、iPad だって買える。だが、iPad からは Amazon タブレットを買うことはできない。
中には、両社のタブレットを保有する人もでてくるだろう。でもそれは、タブレットが2つ欲しいからではない。店舗が2つ欲しいのだ。
Amazon のタブレットは、「誰もがすべてを Amazon から購入する」、というアマゾンの長期戦略の一部であり侮れないものとなるだろう。
戦略は大胆で素晴らしいもので、会社の長期にわたる成功に貢献する。また、ダウンロード可能コンテンツ市場では唯一 Apple の前に立ちふさがるものとなるだろう。

自炊代行業者への質問状に名を連ねた作家・漫画家122人の「電子書籍化状況」

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/20110909_476036.html

出版社7社と作家122人が自炊代行業者に質問状を送った件は、あちこちに波紋を広げている。発表後に作家122人のリストを含む質問状の原本がネットで公開されたほか、ある自炊代行業者は郵送での返送ではなくネット上に公開回答を載せるなど、質問状をめぐる動きは後を絶たず、今後の展開にも予断を許さない状況だ。さて、今回の質問状の送付にあたり、質問状に名を連ねている作家や漫画家の著作はいったいどのくらい電子書籍化されているのか?という疑問を呈する声がネットのあちこちで見られたわけだが、ブログ「最終防衛ライン2」がそれらをいちから調べて公開している。数が多すぎて現状ではまとめきれていない個所もなくはないようだが、それでも大力作だ。「電子書籍化されていないから自炊代行に依頼する」という利用者側の主張がどのくらい正しいのかを判断する、ひとつの目安となりそうだ。

◇書籍スキャン代行業者に質問状を出した作家・漫画家122人の電子書籍化状況(最終防衛ライン2) 
http://d.hatena.ne.jp/lastline/20110908/1315450269 
◇作家様・漫画家様・出版社様からの質問状について<公開回答> (自炊代行ドットコム) 
http://www.jisuidaikou.com/index.php?action_TopIndexPC=true&page=28 
◇「書籍の“自炊”代行は複製権侵害」出版社7社と作家122人が業者に質問状(INTERNET Watch) 
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20110905_475415.html

講談社、角川書店、集英社、小学館、光文社、新潮社、文藝春秋の7社と作家・漫画家ら122人は5日、書籍の裁断やスキャンを行う、いわゆる“自炊”を代行する事業者約100社に対して質問状を送付した。自炊代行は複製権侵害にあたると指摘した上で、今後もサービスを継続するかなどについて、9月16日までに回答するよう求めている。

ユーザー自身が個人的な目的で書籍を裁断してスキャンする“自炊”は、著作権法の「私的複製」として認められている。しかし、私的複製の範囲を規定する著作権法30条1項では、「『使用する者が』複製することができる」と書かれていることから、出版社などによれば、自炊の代行サービスは複製権(著作権法21条)侵害にあたるという。

質問状では、多くの自炊代行サービス事業者が、サイト上で「著作権者の許可を得た書籍のみ発注を受け付ける」「発注された書籍は著作権者の許可を得たものとみなす」といった注意書きを記載している点に対して、質問状の差出人である作家は許諾していないと通知。

その上で、今後も自炊代行サービスを継続するかどうか、「ア.当社は今後、差出人作家の作品について、依頼があればスキャン事業を行う予定です」「イ.当社は今後、差出人作家の作品について、依頼があっても、スキャン事業を行うことはありません」から選択するよう求めている。

また、スキャンの発注を受け付けるに際して、依頼者が実際に私的利用を目的としているかどうかの確認の有無や、法人からの発注に応じているかどうかについても尋ねている。

このほか、自炊の代行事業者の中には裁断済みの書籍を利用者に返還する者も少なくなく、実際に裁断済みの書籍を販売できるサイトやネットオークションで数トン単位の裁断本が一度に出品されるなど、裁断本は相当量が市場で流通していると指摘。現状では「紙の本が消えてデータに変わるだけ」と言うことはできないなどと苦言を呈している。

電子書籍騒動から1年 幅允孝の本と仕事から考えること

http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201109060373.html

今、書店の店内を巡ると、「電子書籍」をタイトルに戴いたものが、ほとんど面陳列されていないことに気づく。それは、電子書籍を主題とした新刊・話題書がほとんど出ていないということだ。1年前は、雑誌、話題書、ビジネス書、PC書、新書とさまざまなジャンルで、「電子書籍」の文字が躍っていた……。
「電子書籍」騒動が、かくも沈静化したのはなぜか?
理由の第一は、IT企業にとって、そもそも、「電子書籍」は目的ではなく、手段であったことだと思う。当面の目的は、端末機器の販売であった。アマゾンが当初、赤字覚悟の破格の安値で「電子書籍」を提供したのは、キンドルの販売によって十分元が取れる上、以後の戦略を優位に進めることができるからである。アップルは、即座にiPadでそれに対抗した。
彼らの最終的な目的は、「プラットフォーム覇権」を握ることである。すなわち、ユーザーが自らのプラットフォーム上でさまざまなITサービスを受ける頻度を多くすることであり、端末機器の普及もまた、そのための手段である。
保有するコンテンツの量が他より抜きんでることも、然り。コンテンツの奪い合いは、21世紀版の「囲い込み」なのだ。
だが、日本の出版業界は、販売総額2兆円にも満たぬ、ささやかな市場だ。なぜか「紙の本」にこだわる著者や読者が多い。出版社の数も多く、「ブック検索」で予想外の抵抗を受けたグーグルをはじめ、今無理してこんなちっぽけな「パイ」を奪い合うのは労多くして……、とIT企業が考えたとしても不思議ではない。昨秋にもあると言われた、キンドル日本版の発売も、ここのところ噂を聞かない。
昨年の「電子書籍」の位置を占拠しているのは、「フェイスブック」をはじめとするSNSである。最終目的は「プラットフォーム覇権」なのだから、多くの人の注目が集まり、多くの人を直接「囲い込む」ことのできる手段に注力するのは、当然といえば当然である。
迎え撃つ側の意識も、変化した。
「プラットフォーム作りで、いま何歩も前を進んでいるのが、アマゾン、アップル、グーグルの3社なのだとすれば、この3社のいずれがデジタルの覇権を握るのかを注意深く予測し、その上でこれらのプラットフォームに乗っかるのが、最も賢い選択なのではないだろうか」(注1)
昨年は、こうした慌てふためく提言が多かったが、今年は、「収益がどんどん良くなっているネット企業は、マスメディアやコンテンツ企業と異なり、文化/ジャーナリズムへの愛とかこだわり、さらにはそれを支えようとする気概はない」(注2)という冷静な見方を取り戻している。
●本は単なるコンテンツの「コンテナ」じゃない
書店以外の「売場」で展示販売する本をセレクトし、レイアウトする。ユーザーからじっくりと聞き取りし、病院などのライブラリーの本を選ぶ。
TBSテレビ「情熱大陸」でも取り上げられた幅允孝(はば・よしたか)の仕事に、私は心から共感する。それは、私たち書店員が、最も大事にしている、そして大事にすべき仕事の延長線上にあるからだ。
今年上梓された『幅書店の88冊』(マガジンハウス)で、図書館の写真集を取り上げながら、幅は言う。「アーカイブが主な目的となった今の図書館では、まだ見ぬ未来の読者が『これを読ませておくれ』とやってきた時に、『はい、どうぞ』と滞りなく手渡すことに力点が置かれている。今、目の前にいる読者になるかもしれない人間に、『これ面白いですよ』とは、投げ掛けたりはしない。だが、僕は思うのだ。本は開かれてこそ、初めて本たりうると」(注3)。
「プラットフォーム覇権」獲得のためにひたすら量を求めてコンテンツを収集するIT巨大企業の行き方は、幅の言う「今の図書館」と同じではないか。そして、私たち書店人が共有すべきは、「『面白いでしょう? どうですか、手に取ってみませんか?』と呼びかけたい」(注4)という幅の思いではないか?
編集の仕事を提案された時、「もともと僕は本の全体が好きなんだというのを思い出し」(注5)て、今の仕事を始めた、と幅は言う。一冊の本は単なるコンテンツの「コンテナ」じゃない。そこには、編集、装幀、印刷、製本と多くの人の手がかかっている。
そうして多くの人の手がかかることを、ITの世界は「ムダ」と切り捨てる。しかし、実際にはそれらの「ムダ」が協働して初めて、読者に対してコンテンツをアピールすることができるのだ。「ムダ」ではなく、「畳長(じょうちょう) 性」というべきだ。
そして、書店店頭もまた、コンテンツをアピールする「畳長性」の一つなのであり、同時に読者の側の関心、受容が反映する場でもある。両者がぶつかり合って、書店の風景は構成され、ダイナミックに変化していく。そうした場(=購書空間)(注6)で読者と出会うことによって、著者の主張は読者へと伝えられていくのである(ついでに言えば、このプロセスが、著者が仕事の対価を得る、非常によくできた仕組みなのだ)。
「おれのしてることはいわば無駄で余計なことさ。しかし無駄や余計をばかにしてほしくないな」(注7)
井上ひさしに劇作家デビューを遅らせる決心をさせたという福田善之の傑作戯曲『真田風雲録』で、大坂の陣のさなかに「週刊大坂城」を発行した十勇士の一人由利鎌之助が、仲間から受けた批判に反論する台詞である。若き日の劇団員時代にもらった中で、今でも私が最も好きな台詞だ。(「ジャーナリズム」11年9月号掲載)

(注1)武井一巳『アップルvs アマゾンvsグーグル』(マイコミ新書、201頁)
(注2)岸博幸『アマゾン、アップルが日本を蝕む』(PHP研究所、51頁)
(注3)『幅書店の88冊』89頁
(注4)永江朗『本の現場』(ポット出版、148頁)
(注5)同145頁
(注6)柴野京子『書棚と平台』(弘文堂、216頁)
(注7)福田善之『真田風雲録』(ハヤカワ演劇文庫、142頁)

福嶋 聡(ふくしま・あきら)
ジュンク堂書店難波店店長。1959年兵庫県生まれ。京都大学卒業。82年、ジュンク堂書店入社。仙台店長、大阪本店店長などを経て2009年7月から現職。著書に『劇場としての書店』(新評論)など。

~iPadからAndroidへ、どこでも読み継ぐことができる紀伊國屋BookWebの電書

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20110906/1036652/

電子書籍が書籍に取って代わったら、書店はなくなってしまうだろうか。そんなことにはならない。
 音楽の場合と比べてみよう。
 アナログレコードからCDへの転換は急激だったし、CDからダウンロード販売への転換も進んでいるが、どんな形で手に入れようと、音楽を聴くのに再生装置が必要なことには変わりない。音楽が好きな人は再生装置も買う。どうせ買うならより良い方法を追求するのは自然な流れだ。
 でも、紙の本は、それ自体がコンテンツの容れ物であり、再生装置である。単独で完結している。こんなに便利な商品が、簡単に廃れるとは思えない。
 もう一つの理由。電子書籍には再生装置が必要だ。そういう読書があってもいいが、やはり面倒なのではないか?
 iPadにはたくさんの可能性がある。でも、可能性だけでお金を出す人は限られている。再生装置に4万円台半ば~7万円台前半の金額を出すくらいなら、そのお金で紙の本を買った方がいいという説には賛成せぜるを得ない。
 では、どうなるかというと、読書の再生装置として、スマートフォンが最初に認知されるのではないか。iPhoneかAndroid。キホンは電話なので、電話を買ったら電子書籍を読めるおまけが付いてきました的な感覚。紙以外の書籍を読む習慣が根付いたところで、この画面は狭すぎるという話になった時、ようやくタブレット型端末が売れ始めるのかもしれない。



さて、今回は、紀伊國屋bookwebで、第三十回吉川英治文学新人賞作品、「田村はまだか」(朝倉かすみ)を買ってみた。本屋さんが売っている電子書籍である。
まず電子書籍アプリ「紀伊國屋書店Kinoppy」をAPP Storeからインストールする。
Kinoppyで「ストア」を開き、「田村はまだか」を購入する。支払いはApple StoreのIDで行える。

電子版で読むメリットはあるか

iPadで紀伊國屋BookWebの電子書籍を読むためには「Kinoppy」という電子書籍アプリをダウンロードする。このアプリ自体は無料だ。
「Kinoppy」は電子書籍のビューアーであると同時に、電子書籍を購入するためのストアでもある。
「Kinoppy」でストアを開くと、紀伊國屋bookwebにつながる。読みたい書名が分かっていれば検索すると早い。なにか読む本をぶらっと探すなら、ジャンルから探していくといいだろう。
紀伊國屋書店はリアル店舗で書籍を販売しているし、ネット通販の老舗でもある。書籍販売とネットを知り尽くしているという点で、電子書籍のプレーヤーとしてはとてもいい位置にいると思う。
紀伊國屋BookWebは、紙の本と電子の本を両方扱うネット書店だ。紙と電子、どっちがどういいのかを調べるのにちょうどいい。
価格はどうか。
品ぞろえはどうか。
気になる2点をチェックしてみた。
「田村はまだか」の場合でいうと、紙の文庫本は599円、電子書籍版は600円と、同価格帯。とはいえ、配送料や実際に店頭に本を買いに行くための交通費などを考えると、電子版の方が安くて時間の節約になる。これから電子書籍を読むためにiPadを買おうというならともかく、すでに持っている人にとっては電子書籍版を選ぶ価値がある。
ちょっと高めの本で比較してみると、サンデル教授の「これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学」は書籍版は2415円だが、電子書籍版は1600円。このくらい価格差があると、かなりお得感が出てくる。ざっと見ていくと、だいたい1割程度は電子版の方が安い。
では、品ぞろえは。こちらは紙の方が圧倒的に多い。著者名で検索してみると、差異がよく分かる。この状態で紙を無視するなんて、できるわけがない。
とはいえ、電子書籍化されるのは著者の代表作から始まるから、初めて読む著者なら、電子書籍版で読んでから、もっと読みたい時は紙へという流れはアリだと思う。話題作を読むにも向いている。
著者の名前「朝倉かすみ」で検索してみる。多数の著作が購入できる状態にある。

ところが、「電子版のみ」をクリックすると、3冊に急減。人気作家の書籍でもこの程度の進捗状況だ。
「ストア」から「書棚」に移動すると、購入した本の書影が本棚に並んでいる。タップすると、ビューアーモードになる。
複数の端末で読み継げる
 さすがだなあと思うのは、「Kinoppy」はiPhone向け、Android向け、iPad向けに展開されていて、1つのコンテンツをユーザーが好きなデバイスで読むことができる点だ。さらに、スマートフォンはいつ買い換えるか、分からない。前のスマートフォンに入っていた本をまた買わなきゃいけいないの? という不安を抱かせないように、一度買った作品はいつでも再ダウンロード可能になっている。
 一番感心するのは、1つの作品を家ではiPadで読み、電車の中ではAndroidで読みというふうに複数の端末を使って読み継げることだ。
 紙の本なら当たり前のこうした読み方を実現してくれたのは、やはり書店の作った電子書籍アプリだった。「Kinoppy」を使ってみると、紙の本の良さをなるべく損ねまいという工夫が分かる。
 iPadでどこまで読んだか、ということをアプリが覚えておいて、次にAndroidで同じ本を開いた時、自動的にそのページが開く。なにげない工夫だが、読書の継続性からはとても大事なことだ。
 筆者は何冊も併行して読む派なので、紙の本であっても、どこまで読んだか分からなくなって、「えーとえーと」と言ってるうちに時間がたってしまうことが少なくない。「Kinoppy」の記憶力は、それだけでも電子版を選ぼうという気にさせてくれる。
KinoppyはAndroid版もある。Android端末の「マーケット」で「Kinoppy」を検索して、インストールする。無料。

Kinoppyを起動する。紀伊國屋BookWebは会員登録が必要。すでに会員になっている人はメールアドレスとパスワードを入力してログインする。

書棚に「田村はまだか」を発見。タップする。

「田村はまだか」を開く。ページをタップしたり、スライドしたりして、読んで行ける。美しい縦書き。
続きはリンクでね。