http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A90889DE1E6E5E0EAE1E1E2E3E0E2EBE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;p=9694E0E5E2EAE0E2E3E3E1EBE1E0
「電子書籍」というものがある。日本でも昨年は、「その元年だ」ともいわれたような記憶がある。しかし、率直に言って、私は、いま現在「電子書籍」と呼ばれているものは、単なる「紙の本の電子読み」にしかすぎないと思っている。
ということは、お察しの通り、私の想う電子書籍は、いま言われているものとは、全く異なる。どのようなものかという話の前に、現状の「電子書籍」を、私なりに概観してみよう。
これまで世界で紙に印刷されて出版された書籍のうち、ざっくり20%が書店で買えるらしい。分かりやすく言えば、それだけの本がAmazonで新品の紙の本として購入できるわけだ。
その内の何%が、Kindle(Amazonの端末)向けの「電子書籍」として買えるのか、寡聞にして知らないが、約100万冊が、買えると言われている。少なくとも米紙ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストのほとんどは買えるようだ。
さて、米国での書籍の出版は、通常、ハードカバー版がまず売り出され、同時か少し間をおいて、Kindle版、そして、最後にペーパーバック版という順番になる。
各版の価格も、最終的にこの順番になるが、定価(リストプライス)は、ハードカバー版とKindle版は同額、半年~1年程の時間をおいて出版されるペーパーバック版は、ペーパーバック版の出版予告時点でのKindle版の実勢価格より、やや高めに設定される。ただし、ペーパーバック版の出版時の実勢価格は、最初からその定価を下回っているのが通常だ。
この事実は、古書を除き、書籍が定価でしか販売されない日本と違い、米国の書籍販売の価格政策の精妙さを感じさせるが、今日はそれが主題ではないので、この点には深く立ち入らない。
注目すべきは、Kindle版は「紙の本の電子読み」用だということが、この価格政策に端的に表れているということだ。
しかし、「Kindle版は、単なる『紙の本の電子読み』用とはいえない」という反論も聞こえてくる。
曰(いわ)く、「通信さえつながっていれば、書籍を瞬時に購入・ダウンロードして読める」「購入した書籍を最大数千冊も、持ち歩ける」「辞書機能を使えば、一発で単語が引ける」「所有しているKindle版の横断的検索ができる」等々だ。
「なるほど」と私も思うが、辞書機能と検索機能を除き、やはり「紙の本の電子読み」用だという見解を変える気にはならない。ただし、辞書機能と検索機能からは、私の言う所の本来の電子書籍の片鱗(りん)が垣間見えることは否定できない。
ということで、いよいよ、来るべき電子書籍への、私の羅針盤の見立てである。
辞書機能と検索機能に垣間見えているのは、書籍の「連係」の姿である。Kindleの辞書機能は、「今読んでいる本」と「辞書」という、2つの本の連係にすぎないが、検索機能が示唆しているのは、来るべき本来の電子書籍が持つであろう、複数の、そして最終的には、全ての本との連係の可能性である。
その連係が拡大するにつれて、ノンフィクション本における引用・脚注・巻末の参考文献リストの形態が、激変するはずだ。著者は、そのような新しい機能・形態を前提として、電子書籍を書き始めるであろう。その時、紙の本の終わりが始まるのだ。なぜなら、そのような機能と形態を手に入れた著者たちは、徐々に紙の本を書かなくなるからである。
そして、その連係は、図・写真、さらには動画に及び、ついには、著者自ら、あるいは、専門のレクチャラー(解説者)が動画に登場して、図・写真・動画を使いながら、解説を始めるに至るであろう。紙の本を含む他の書籍への導線を引くことも可能だ。
ついに、電子書籍は、読むだけのものでなく、観るもの、聞くものとなるであろう。「読者(と引き続き呼んでおこう)」は、今「読んでいる」電子書籍の薦める導線を辿(たど)るだけでなく、自らも積極的に関連電子書籍や図・写真・動画を検索し、渡り歩くであろう。
「それはもはや書籍ではない」という反論が聞こえる。“So what?(それが何か?)”とだけ答えておこう。
以上のことは、フィクション本では、さらに過激に起こるはずだ。小説と絵本とマンガと映画の見分けがつかなくなる。章・巻・Part等は、購入の単位としては残るだろうが、「読む・観る」単位としての意味を徐々に失うであろう。
「私は、文学者だ」という叫びが聞こえる。“Please be yourself.(どうぞ)”とだけ答えておこう。
購入については、フィクション、ノンフィクションにかかわらず、連係・引用・参照・導線に基づく、いわゆるフェアユース(公正利用)ルールと、コンテンツ購入の決済手段が、整備されるであろう。
そして、このようなクロスメディアとしての本来の来るべき電子書籍の主たる舞台装置は、第2回で紹介した、スマートフォン(高機能携帯電話)とタブレット端末とデジタルTV(テレビ)が合流するスマートTVである。
ここに至る過程で、ノンフィクション「本(と引き続き呼んでおこう)」においても、フィクション「本」においても、「出版社(と引き続き呼んでおこう)」や「編集者(と引き続き呼んでおこう)」の役割は、増大することはあっても、減少することはない。もちろん、自らの役割の多機能化に対応できれば、ではあるが。
クールジャパンと呼ばれる独特のメディア感性に満ちた日本のクリエーターを支えてきた、日本の出版社・編集者が、単なる「紙の本の電子読み」さえ実現できずにいる現状を一刻も早く抜け出し、来るべき壮大なる電子書籍への第一歩を、世界に先駆けて踏み出されんことを、心から祈りつつ、第3回を終わりたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿